紀元前2世紀ごろ、アラビアの遊牧民ナバタイ人によって築かれた岩の都・ペトラ。
香料や宝石が行き交う交易の要衝として栄え、岩を彫り込んで造られた神殿や墓が、この地に次々と築かれていった。
“バラ色の都市”とも称されるこの世界遺産を、今日は馬とロバの背に揺られながら、丸一日かけて巡ることにした。
断崖の先にそびえる巨大な修道院エド・ディル、そして険しい岩山を登った先にある犠牲祭壇からの眺め。
崖の上から見渡すペトラの全景は、静かに眠るかつての王国の記憶のようだった。
息を切らし、砂埃にまみれながら、古代の面影をたどった長い一日。
今日は、動物たちと共に歩いたペトラ遺跡の冒険を綴る。
岩のすき間から現れる神殿|朝の光に包まれたエル・ハズネ
朝7時、宿を出発。
昨日覗いたパン屋で、1ディナール(約200円)分のパンを購入し、徒歩でペトラ遺跡へと向かう。
ペトラは、朝の観光が断然おすすめ。
理由は二つ。
まず、観光客が少なく静かに見て回れること。
そして、日中の暑さを避けられること。
9時を過ぎると日帰り客が続々と押し寄せてくるため、それまでに名所であるエル・ハズネやエド・ディルを巡ってしまいたい。
特に炎天下での長時間の遺跡歩きは、体力勝負。
今回はできるだけ効率よく、涼しい時間帯に奥地まで一気に進むという作戦で挑む。

昨夜は閉まっていたチケットカウンターも、今朝は無事に開いており、1日入場券(50ディナール=10,049円)を購入。
高額なので、しっかり元を取るつもりだ。

ゲートを入ってすぐの場所には、馬乗り場がある。
「乗馬代はチケットに含まれてるよ!」と甘い言葉で誘ってくるベドウィンたちがいるが、実際はチップを請求される。
最初に提示されたのは10ディナール(=2,009円)だったが、強く断って歩き出すと5ディナールに、さらに別の人が「3ディナールでいいよ」と耳打ちしてきた。
結果、3ディナール(=602円)で馬に乗ることに。

ちょっとだけ高い視点から眺めるペトラの遺跡は新鮮で、冒険心をくすぐる。

ベドウィンのおじさんは英語こそ苦手だが、頑張って案内してくれ、記念写真もたくさん撮ってくれた。
最後に3ディナールを渡して別れようとすると、「写真いっぱい撮ったから、もう1ディナールちょうだい( ゚Д゚)」と言われ、財布にあった0.5ディナールをおまけで渡して引き下がってもらった。
事前に金額を交渉しても、こういう追加リクエストはつきもの。
予算には余裕を持たせておくのが吉だ。

シークと呼ばれる峡谷道に入ると、両脇に80mを超える岩壁がそそり立つ。
細く静かな道を進むにつれ、外の音が消えていき、まるで岩に包まれていくような不思議な感覚に包まれる。

途中、岩に彫られた人間の下半身のようなレリーフが現れ、通る人々が足を止めて不思議そうに見つめていた。

そしてついに、岩のすき間から、神殿「エル・ハズネ」が姿を現す。

早朝のこの場所は、人も少なく、静けさに包まれている。
昨夜のキャンドルナイトとはまた違う神秘的な雰囲気。
この神殿を“再発見”したのは1812年、スイスの探検家ヨハン・ブルクハルト。
当時、イスラム教徒を装い、預言者アーロンの墓を参拝したいとベドウィンに伝え、ここに案内させたという。
そのとき彼が初めてこの光景を目にした瞬間、どれほどの衝撃を受けたのだろう。

エル・ハズネの前には、観光客向けの写真撮影用ラクダがのんびり座っていて、観光地らしい空気を添えていた。
ロバの背に揺られて登る|崖の上の修道院エド・ディル

王家の墓を過ぎたあたりの道で、ベドウィンに声をかけられる。
「ロバに乗れば、エド・ディルまで早く行けるよ」とのこと。
歩いても行けるけど、体力を温存したかったので、話を聞いてみた。

最初に提示された金額は20ディナール(=4,017円)。
交渉の末、なんとか7ディナール(=1,405円)まで下げてもらって乗ることにした。

序盤はなだらかな道を進むが、すぐに勾配のきつい山道へ。

断崖沿いの細くて不安定な道を、ロバの背に揺られながら登っていく。
自力で行っていたら、かなり体力を削られていただろう。


途中で記念写真を撮ってもらったりしながら、あっという間に頂上付近へ。
歩くよりも時間は半分ほどで済んだ。
エド・ディルの少し手前でロバを降り、そこからは徒歩で向かう。
案内してくれたベドウィンのおじさんが「パクシーシ(チップ)」と息を切らして言ってきたので、申し訳なくて1ディナールを追加で渡した。
正直、ゲートから平坦な道を進む馬よりも、このロバの方がよほどコスパが良いと感じた。

崖の峡谷を見下ろしながらのトレッキングはスリル満点。
目の前に広がる景色に、何度も足を止めてしまう。

そしてようやく、巨大な岩に彫り込まれたエド・ディルが目の前に姿を現す。

ペトラ最大級のファサードを誇るこの建造物は、かつて修道院だったとも、神殿だったとも言われているが、詳細はわかっていない。

切り立った崖の上に突然現れるその姿は、朝の光を浴びて神々しく、しばらくパンをかじりながら無言で眺めてしまった。

そばにあるカフェ兼売店には、ロバがオレンジや飲料を運んでくる。
車では来られない場所だからこそ、動物たちが欠かせない存在になっている。
神殿、列柱、王家の墓を巡る|ペトラ遺跡の歴史散歩
エル・ハズネ、エド・ディルと、ペトラの目玉スポットを巡ったあとは、体力と相談しながら他の遺跡をのんびりと回ることに。
エド・ディルから引き返すかたちで、いくつかのスポットを順番に歩いていく。
最初に立ち寄ったのはカスル・アル・ビント。

ペトラに現存する唯一の屋根構造を持つ神殿で、かつては主要な宗教施設のひとつだったと考えられている。
風雨に耐えながら今なおその場に佇む姿に、ただただ驚かされる。

続いて、かつての交易の中心だった列柱道路へ。
両側に立ち並ぶ柱の間を歩くと、古代の商人たちの往来が思い浮かぶ。
石畳の感触を確かめながら歩いていると、ほんの少しだけ過去と現在がつながるような気がした。

道の途中にあるのが、ニンファエウム(水の妖精の泉)と呼ばれる日陰の小広場。
かつて湧き水が流れていたというこの場所には、今も涼やかな空気が漂っている。
ちょうど日陰だったので、転がっていた岩に腰を下ろし、遠くに見える王家の墓を眺めながらパンをかじる。
遺跡内の高価なレストランで食事をとるよりも、王家の墓を眺めながら1ディナールのパンをかじる方が、旅人らしい贅沢に思えた。
ひと息ついたあとに立ち寄ったのは、王家の墓群。
崖の中腹に並ぶ巨大な墓は、王族のものとされているが、誰の墓なのかは不明。
それぞれに個性があり、ファサードのデザインを見比べていくのが楽しい。

まず目に入るのが、存在感抜群の「壺の墓(Urn Tomb)」。
上部に壺の装飾があり、中に入ると奥行きのある広い空間が広がっていた。
かつては教会としても使われていたそうだ。

隣には、岩の縞模様が美しい「絹の墓(Silk Tomb)」。
赤やピンク、オレンジの層がまるで絹のように滑らかで、外観だけで惹きつけられる。
その隣には、コリント式の柱が印象的な「コリント式の墓(Corinthian Tomb)」。
エル・ハズネを思わせるローマ建築の影響が色濃いが、保存状態はやや劣化が見られた。

さらに歩を進めてたどり着いたのが、ペトラの劇場。
ナバタイ人が最初に築き、その後ローマ人によって拡張されたと言われている。
岩をくり抜いて造られた半円形の構造が特徴で、約4,000人を収容できたというから驚きだ。
主要なスポットを巡り終えたあとの遺跡散策は、ゆったりとした自分のペースで歩けて、心地よい午後のひとときになった。
断崖の上から見下ろす遺跡の全景|たどり着いた犠牲祭壇
最後に向かったのは、遺跡内でも特に体力を要するルートのひとつ、犠牲祭壇(High Place of Sacrifice)。

約700段の階段を登り、最後は手を使って岩をよじ登るような急斜面を越えて、ようやく山頂の高台にたどり着いた。

頂上には、円形に窪んだ小さな岩のスペースがあり、ここがかつて重要な祭祀が行われていたとされる犠牲祭壇。
静まり返った空間に、古代の祈りの残響がかすかに漂っているような気がした。


持ってきたパンを取り出し、遺跡全体を見下ろす壮大な眺めの中で昼食。
風が抜ける静かな高台で、ただぼんやりと景色を眺める時間が、とても心地よかった。
今日の体力はほとんどここで使い果たしてしまったけれど、それでも「ここまで登ってよかった」と心から思える場所だった。

下山して再びエル・ハズネ前を通りかかったのは14時過ぎ。
すでに観光客でごった返していて、朝の静けさが嘘のような喧騒に包まれていた。
あの時間に起きて出発した自分を、心の中で褒めてあげたくなる。
遺跡の余韻とともに|ミュージアムと軽めの夕食で締めくくり

すでに体力の限界はとっくに超えていたが、最後の力を振り絞って、遺跡入口横にあるミュージアムへ立ち寄る。
ここは入場無料で、ナバタイ人が築いた古代都市ペトラの暮らしや宗教に関する展示が並んでいる。

小規模ながらも、ドゥシャラ神の胸像や、岩に彫られたレリーフなど見ごたえがあり、知的な満足感をくれた。

もう歩く気力も残っていなかったので、ビジターセンター前で流しのタクシーと交渉。
最初は5ディナール(=1,009円)と言われたが、粘って交渉すると2ディナール(=403円)まで下がったので、それで乗せてもらうことに。
16時には宿に戻り、そのままベッドに倒れ込むように爆睡。
まるで電池が切れたみたいだった。
夜、なんとか起き上がって、まだ眠気の残る体を引きずりながら夕食へ。

外に出ると、岩山の向こうにちょうど夕日が沈んでいくところだった。
空と岩肌が赤く染まり、静かに日が沈んでいく様子が、ペトラの風景にしっくりと馴染んでいた。

夕食は、近くの「Abu Elias Restaurant」へ。
注文したのはシャワルマサンドと野菜スープ。

疲れた体に、あたたかいスープがじんわりと染みわたり、ようやく自分の中に一日を締めくくる余白ができた気がした。
5月1日:使ったお金
ペトラ遺跡は、チケット代だけでも高額で知られる観光地。
遺跡内のレストランや売店も高めの価格設定なので、あらかじめ水とパンを持参し、食費はなるべく節約。
そのぶん、移動手段として馬やロバなどの動物を利用し、体力を温存しながら遺跡を巡った。
・パン代:1ディナール(=200円)
・ペトラ遺跡入場料:50ディナール(=10,049円)
・馬代:3.5ディナール(=703円)
・ロバ代:8ディナール(=1,607円)
・タクシー代:2ディナール(=401円)
・水:0.5ディナール(=100円)
・夕食代(シャワルマ等):8ディナール(=1,607円)
・スーパーでの買い物(朝食等):2ディナール(=401円)
合計:15,068円