今日は朝から、エジプト・ヌエバ行きフェリーのチケットを求めてチケットオフィスへ向かった。
無事に今夜出発の便が取れて、胸につかえていたものがすっと消える。
ほっとした気持ちでアカバの街を歩けば、明るい日差しとゆるやかな風が心地よくて、ただの通過点のはずの町が、なんだか名残惜しく感じてくる。
紅海の向こうには、イスラエル最南端の街エイラトの街並みがぼんやりと浮かぶ。
一見すると穏やかな風景だけど、この海を挟んだ場所では、いまも政治的な緊張が続いていることを思い出す。
シーシャをくゆらせながらそんなことを思った午後。
アカバ要塞を訪れ、港町の歴史に少しだけ触れた。
そして夜、いよいよ港へと向かう。
今日はそんな、アカバで過ごした一日の記録。
看板猫Caladoに癒される|アカバのおすすめ宿情報
アカバの宿は思っていたより少し高く、個室はあきらめて、ドミトリーに宿泊することに。
選んだのは、朝食付きの『Hakaia Community Hostel & Co-Working space』。

ここには「Calado」という看板猫がいて、あまりの可愛さについ追いかけ回してしまった。
Calado、ごめんね。

女子ドミは満室だったけれど、みんなマナーが良く、清潔に保たれていて快適だった。

共用ダイニングには、コーヒーや紅茶、水が自由に飲めるセルフドリンクコーナーがあり、ゆったりとくつろげる。

朝食はパン、トマト、フムス、ファラフェル。どれもとても美味しかった。
フェリーチケットを手にひと安心|アカバの街を散策
今回アカバを訪れたのは、海路でエジプトへ渡るため。
ヌエバ行きのフェリーは、天候によって欠航になることもあると聞き、どうしても今日の便に乗りたくて、祈るような気持ちでチケットオフィスへ向かった。

宿から歩いて数分の『Arab Bridge Maritime』のオフィスで、パスポートを提示し、57ディナール(=11,685円)を支払ってチケットを無事にゲット。
肩の力が抜けて、少しだけ街をぶらぶらと歩くことにした。


すぐ近くの『Al-Ghandour Beach』は、地元の人たちでにぎわっていた。

透き通った水に誘われて、思わず海に飛び込みたくなる。
「午後はここで泳いでもいいかな」なんて思いながら、ビーチ沿いを歩き、ジュースを買って宿に戻った。


この宿のもうひとつの魅力は、ワーキングスペースがあること。
旅先でもブログを書く私にとって、ありがたい環境だった。
朝はここでしばらくブログを書いた。

Caladoはこのスペースの椅子が好きなようで、いつもここでお昼寝している。
その寝顔に癒されながら書く時間は、とても穏やかで幸せだった。
マンサフを味わい、紅海を眺めながらシーシャをくゆらす午後

昼すぎ、小腹が空いたので、評判の良いマンサフのレストラン「منسفنا صح」へ。
店内もおしゃれで、地元客がたくさんいた。

マンサフは、ヨルダンの伝統的なごちそう。
山羊のミルクを発酵させて作る「ジャミード」の白いソースを、チキン(本来はラム肉)とごはんにたっぷりかけて食べる。
このソースは塩気と風味が強いけれど、ソースにするとまろやかで、チキンとごはんによく合う。
本来は手で食べるけれど、私はスプーンでいただいた。

食後、店を出ようとしたら外はまさかの雨。
アカバは年間を通してほとんど雨が降らない砂漠の町。
5月にこんなにしっかり降るのは珍しい。
人々は足早に軒下へと移動していく。

しばらくして雨が弱まったので、もう一度ビーチへ。
さっきまでにぎわっていた浜辺には人影がなく、さすがにこの天気では泳ぐ気にはなれなかった。


ビーチ沿いのカフェに入り、リンゴフレーバーのシーシャを注文。
ほんのり甘い煙の香りが、雨上がりの午後にやさしく広がっていく。

紅海の向こうには、イスラエルのエイラトの街並みがかすんで見える。
海辺の風景は穏やかそのものだけれど、ここもまた、紅海情勢や周辺国との緊張が高まれば、いつ何が起きても不思議じゃない場所だ。
そんなことを考えながら煙を吐いたとき、あらためて思う。
こうして旅ができるのは、平和があってこそなんだと。
そして、どこへでも自由に移動できる今の自分の環境に、自然と感謝の気持ちがわいてきた。
アカバ要塞で感じる、ロレンスとアラブ反乱の歴史
シーシャを吸っているうちに、少しずつ天気が回復してきたので、すぐ近くにあるアカバ要塞へ向かった。

アカバ要塞は、16世紀にマムルーク朝によって築かれた沿岸の砦で、その後オスマン帝国の支配下で改修・利用された。
紅海に面したこの場所は、かつて軍事的に重要な拠点だったという。


今では静かな海辺にひっそりと佇んでいるけれど、実はここ、歴史の転換点となる激動の舞台でもある。
第一次世界大戦中、オスマン帝国に対してアラブ独立を目指す「アラブ反乱」が勃発。
1917年、ベドウィンとともに戦っていた“アラビアのロレンス”ことT.E.ロレンスは、ワディラムから砂漠を越えてこのアカバを奇襲し、要塞を陥落させた。
昨日、私がワディラムで数キロ歩いたあの一本道。
あの道が、もしかしたらロレンスたちが命がけで進んだ道と、どこかで重なっていたのかもしれない。
そんなことを思いながら、今は崩れかけた砦の跡を静かに歩いた。
フェリーで国境越え!アカバ港からヌエバへ向かう夜
宿でシャワーを浴び、荷物をまとめていると、宿のスタッフが親切にもフェリーの運行状況を船会社に確認してくれた。
今日のように天気が荒れた日は、フェリーが欠航になることもあるそうだ。
せっかくタクシーで港まで行って中止では困るから、事前に連絡してくれたのは本当にありがたかった。
そのまま宿にタクシーを手配してもらい、アカバ港へと向かう。

フェリーの出航は22時だが、チケットオフィスのスタッフからは19時には港に来るように言われていた。
19時過ぎ、港に到着。建物の前に着いたものの、なぜか扉は閉まったままで、入場の案内もない。

エジプト人はどうやら別のエリアで待っているらしく、ここにいるのは外国人ばかり10人ほど。
扉の前で、いつ開くとも分からないまま立ち続けるのはなかなかしんどい。
みんな同じ気持ちのはずだと、自分に言い聞かせながら耐えた。

やっと21時になってゲートが開く。
まずは荷物検査を通り、次に出国審査へ。

その後、待合室に進み、出国税10ディナール(=2,050円)を支払う。

待合室には売店があり、ここで残っていたディナールを使い切ることにした。
コーヒーやサンドイッチ、お菓子、ナッツなどを買ったら思ったよりもたくさんになった。

21時45分、ようやくベンチに腰を下ろすことができた。
3時間近く立ちっぱなしだったせいで、足にじんわり疲れがたまっている。
航路での国境越えは、なかなか体力がいるなとしみじみ感じる。


港にはレストランでもあるのかと思っていたが、そんなものはなかった。
手に入った唯一の「食事」は、トマトとゆで卵を潰して挟んだだけのサンドイッチ。
お腹が空いている今は、贅沢なんて言っていられない。
22時、いよいよ乗船の時間。
外国人は優先的に案内される。
エジプト人の倍以上の乗船料を払っているから、そのくらいは嬉しい特典かもしれない。


フェリーが停泊している桟橋へ向かうと、暗闇の海に大きな船体が浮かんでいた。
いよいよ、紅海を越えてエジプトへ。

エスカレーターは動いておらず、自力で登る。

客室は自由席。
まだ誰もいなかったので、好きな席を選び放題だった。

机つきの椅子を選び、入国カードを記入。
これがあると何かと便利だ。

カードの記入が終わったら、船内後方のカウンターに行き、パスポートと一緒に提出する。
パスポートは到着地ヌエバ港で返却されるとのことだが、正直、返してもらえるのか少し不安になる。
けれど、そういう手順だというなら従うしかない。
命の次に大切なパスポートを係員に預けて席に戻り、ひと息ついているうちに、いつのまにか眠ってしまっていた。
気づいたときには、もう船は出航していた。
5月4日:使ったお金
アカバからヌエバへのフェリーは、外国人料金がとても高い。
エジプト人の倍以上の金額を支払っている分、優先乗船の特典はあるけれど、席は自由席なので結局は早い者勝ち。
この日は、フェリーチケット代だけでもかなりの出費になった。
・ジュース:0.75ディナール(=153円)
・フェリー代:57ディナール(=11,685円)
・宿代:9.4ディナール(=1,927円)
・昼食代(マンサフ等):5ディナール(=1,025円)
・シーシャ:5ディナール(=1,025円)
・タクシー:7ディナール(=1,435円)
・売店での軽食・おやつ:6.7ディナール(=1,373円)
・出国税:10ディナール(=2,050円)
合計:20,673円
これまでの旅費の合計

オマーン出国からヨルダンまでの旅費の合計は、118,951円でした。
・航空券(オマーン→ヨルダン):15,460円
・ヨルダンでの滞在費(9泊):クレカ払い26,152円+キャッシング77,339円=103,491円
合計:118,951円
日本出国からヨルダンまでの旅費の総合計は、382,602円でした。