21日間にわたるエジプトの旅も、ついに最終日。
今日は地下鉄に乗って、カイロ発祥の地といわれる「オールドカイロ」へ向かった。
イスラーム色の濃いカイロの中にあって、ここはコプト教徒が今も暮らす、異なる文化が息づくエリア。
最初に訪れたのは、円形のドームが印象的な「聖ジョージ教会」。
続いて、宙に浮かぶような構造で有名な「ムアッラカ教会(吊り教会)」へ。
隣接する「コプト博物館」では、古代エジプトと初期キリスト教が交わる装飾や聖書写本を見学した。
最後は、聖家族がエジプト滞在中に身を寄せたと伝わる「聖セルジウス教会」の地下礼拝堂へ。
昼はゲズィーラ島の韓国料理店「Hana Barbecue」で、ひさびさの“日本の味”としてそばを注文。
夕方には宿で休憩し、夜は近くのレストラン「Felfela」でエジプト最後の締めの夕食。
パスタを食べながら、エジプト旅をしみじみと振り返った。
そして深夜、カイロ国際空港へ──。
地下鉄で聖ジョージ教会へ|オールドカイロ教会巡りのはじまり
宿の最寄り駅「Mohamed Naguib」から地下鉄に乗り、オールドカイロを目指す。

駅の窓口で切符を購入。

市内中心部は一律8ポンドという料金設定がありがたい。
途中で一度乗り換え、目指すは「Mar Girgis」駅。
ここが、コプト教徒の聖地・オールドカイロの玄関口だ。

改札を出て地上に出ると、目の前に聖ジョージ教会(St. George’s church)が現れる。
円形のドームが印象的なギリシャ正教会で、「マル・ギルギス(聖ゲオルギオス)」の名でも知られる、殉教聖人・聖ゲオルギオスが祀られた教会だ。

内部に足を踏み入れると、まず目に飛び込んできたのは、槍を持ってドラゴンを倒す聖ゲオルギオスの勇ましい姿を描いた絵。

その周囲には、拷問や処刑に使われたとされる道具のレプリカが並び、彼が辿った過酷な最期を想像させる。

厚みのある石の壁と自然光が調和する礼拝堂は、厳かで静かな空気に包まれていた。
そういえば、ヨルダンのサルトでも聖ゲオルギオスを祀った「Al Khader Church」を訪れたことがある。
そこでは、イスラム教徒からも敬意を持って語られていたのが印象的だった。
宗派を越えて信仰の対象となる姿に、心を打たれたのを思い出す。
高所に浮かぶ祈りの空間「吊り教会」ムアッラカ教会

次に向かったのは、「吊り教会」の名で知られるムアッラカ教会(The Hanging Church)。
オールドカイロでも特に有名なコプト教会のひとつで、その名の通り建物全体が高所にあり、入口までは階段を上ってアクセスする。

中に入ると、アーチ状の柱が連なる空間に木製の椅子が整然と並び、その上には船底を逆さにしたような木製の天井が広がっていた。

祭壇周辺は控えめな装飾にまとめられており、荘厳さよりも静けさが際立つ。
外観の重厚さとは対照的に、内部はやわらかな光に包まれ、祈りの場としての落ち着いた雰囲気が漂っていた。
古代とキリスト教が交差するコプト博物館の世界

ムアッラカ教会に隣接する「コプト博物館」は、このエリアで唯一入場料が必要な施設。
入口で280ポンド(=839円)を支払い、館内へ。
内部には、古代エジプトの信仰と初期キリスト教の文化が交わる展示が並んでいる。

中でも印象的だったのは、エジプトの象徴「アンク」とコプト十字が一体となったレリーフ。
古い信仰が新しい信仰に受け継がれていったことが伝わってくる。

11世紀に描かれたアダムとイブのモザイク画には、素朴ながらも温かみのある表現が残されていた。

さらに、現存する中で最も古いコプト語の詩篇の写本も展示されていた。
革のカバーやしおりが今も残っており、保存状態の良さに驚かされる。
館内には、時代を超えて連なる信仰と文化の痕跡が随所に感じられた。
所蔵品も多く、時間をかけてじっくりと見てまわった。
聖家族が身を寄せた伝説の地、聖セルジウス教会へ

コプト博物館を出て聖ジョージ教会の方向へ進むと、壁に囲まれた一角に入る小さな入口が現れる。
階段を降りて中に入ると、煉瓦造りの細い通路が伸び、その先に聖セルジウス教会(Abu Serga Church)がある。

この教会は4世紀に建てられたとされ、オールドカイロの中でも最古級のコプト教会のひとつとされている。

内部はアーチ状の柱が並ぶ素朴な礼拝堂で、奥には地下へと降りる階段が設けられている。

階段を下ると、ひんやりとした空気に包まれた小さな石造りの部屋にたどり着く。

この地下室こそが、聖家族──マリアとヨセフ、そして幼いイエスが、ヘロデ王の迫害を逃れてエジプトに滞在した際、一時的に身を寄せた場所だと伝えられている。
天井は低く、奥には簡素な石の祭壇がひっそりと佇む。
信仰と歴史の重みが、静かに息づいているようだった。
この壁に囲まれたエリアには、聖セルジウス教会のほかにも「ベン・エズラ・シナゴーグ」といった名所が点在している。
内部の写真撮影は禁止されていたが、かつてここに保管されていた大量の「ゲニザ文書」の存在は、今も語り継がれている。

一通り見学を終えたあと、再びMar Girgis駅へ戻り、地下鉄を乗り換えてゲズィーラ島へ向かった。
観光後のリフレッシュ、Hana Barbecueで食べるそば

ゲズィーラ島にあるSafaa Hegazy駅から歩いてすぐの場所に、韓国料理店「Hana Barbecue」がある。
とはいえ、ここには日本食メニューもあり、今日は“日本の味”が恋しくて、そばを注文してみた。

注文と同時に、キムチなどの小皿料理6品が運ばれてきた。
どれも美味しくて、気づけば全皿完食。
しばらく待って、ようやくメインのそばが登場。

盛り付けは韓国冷麺のようだったが、味はしっかり“そば”。
わさびもたくあんも添えられ、めんつゆの味が懐かしく感じられる。
灼熱の観光を終えた後に食べる、冷たいそばのさっぱり感が心地よく、いいリフレッシュになった。
昼食後は再び地下鉄で宿に戻り、シャワーを浴びて、夜までブログを書きながらゆったりと過ごした。
パスタで静かに旅を振り返る、Felfelaの夜ごはん

夜、深夜便のフライトに備えて、宿から歩いてすぐのレストラン「Felfela」へ。
おしゃれな内装で居心地がよく、外国人にも人気の、カイロではやや高級な部類に入る店だ。

最後はエジプト料理で締めるのもありだったが、この夜は無性にパスタが食べたくなり、迷わず注文。
一口ひとくち、噛み締めながら食べる。
ダハブでの沈没生活、狂犬病の追加接種、シナイ半島でのクレイジーな乗客との遭遇、アスワンからルクソールへの優雅なクルーズ、灼熱の遺跡群、カイロでの薬探し──21日間のエジプト旅が、食事とともに脳裏を巡った。
中央アジアや中東といった、旅人に優しい“おもてなし文化”の国々を巡ってきた日々も、これで一区切り。
明日からは、いよいよアフリカ大陸縦断が始まる。
最初の地は、南アフリカのケープタウン。
ヨハネスブルグではないにせよ、治安への不安はつきまとう。
ぬるま湯のような旅の安心に慣れた自分に、もう一度気を引き締めるように言い聞かせる。
そうしないと、命に関わる──そんな不安が、今はほんの少しだけ胸をよぎっていた。
23時過ぎ、宿を出て配車アプリ「inDrive」でカイロ国際空港へ。

搭乗ゲート近くのカフェで、残ったエジプト・ポンドを使い切ろうとしたが、80ポンド(=231円)だけ余ってしまった。
使い切れなかったのは今回が初めてだが、金額が小さいので良しとする。
5月25日:使ったお金
この日は地下鉄移動が多く、交通費はかなり節約できた。
観光も有料だったのはコプト博物館のみで、出費は控えめ。
・メトロ切符代(8ポンド×3回分):24ポンド(=68円)
・コプト博物館入場料:280ポンド(=839円)
・昼食代(そば等):340ポンド(=976円)
・夕食代(パスタ等):255ポンド(=732円)
・タクシー代(宿→空港):150ポンド(=430円)
・カフェ代(ラテ等):423ポンド(=1,214円)
合計:4,259円
これまでの旅費の合計

ヨルダン出国からエジプトまでの旅費の合計は、163,019円でした。
・フェリー(ヨルダン→エジプト):ヨルダンの旅費に計上
・エジプトでの滞在費(20泊):クレカ払い46,559円+キャッシング116,460円=163,019円
合計:163,019円
日本出国からエジプトまでの旅費の総合計は、545,621円でした。