飛行機を使わず、ジープでたどり着いたエベレスト街道。
険しい山道を登り、標高3440mのナムチェに到着した。
シェルパたちが暮らすこの村は、ヒマラヤ登山の拠点として多くの旅人が集まる場所。
ここで2泊して体を慣らしながら、エベレストを望む展望台や博物館を訪れ、寝袋や防寒着などの装備も整えた。
そして快晴の朝、名峰アマダブラムやタムセルクを眺めつつ、さらに標高を上げてデボチェへ。
空気はどんどん薄くなり、父の体調も少し心配になってきたけれど、道中で出会った人々やガイドの話が、この旅をいっそう奥深いものにしてくれる。
絶景と学びが詰まった3日間の記録。
10月7日 ゾッキョと吊り橋の先に──標高差600mを登ってナムチェへ(モンジョ → ナムチェ)

朝食はチーズサンドイッチとパン。
身支度を整え、朝8時半、ナムチェ(Namche・標高3440m)を目指して歩き出す。

宿を出て間もなく、ちょっと変わった動物に出会った。
ヤクと家畜の牛のあいのこ「ゾッキョ」だ。
ゾッキョは、標高の高い地域でも丈夫に育つ働き者。
ヤクほど毛は長くなく、牛よりもがっしりした体つきで、農作業や荷物運びに欠かせない存在。
のしのしと重たい荷物を背負って歩くその姿は、なんだか健気で愛らしかった。

やがて谷にかかる長い吊り橋が現れた。
この橋の上からバンジージャンプができるらしい。
私はただ渡るだけでも足がすくみ、父に手をつないでもらわないと歩けないほど。
その上バンジーなんて、考えただけで気絶しそう。

吊り橋を渡ると、いよいよ急な登り階段が始まる。
標高差600mの登り道をひたすら登り、息を切らしながら歩き続けること数時間。
12時ごろ、ようやくナムチェに到着した。

ナムチェはクーンブ山域で最も大きな村で、シェルパ族の故郷としても知られている。
山の斜面に沿ってたくさんの宿や商店が並び、トレッカーたちでにぎわっていた。

ナムチェの入り口には、白く輝くストゥーパ(仏塔)が建っている。
カラフルなタルチョ(祈祷旗)が風にたなびき、神聖な雰囲気が漂うこの場所は、巡礼者や登山者の安全を祈る場でもある。
そのすぐ隣には、ネパール人女性登山家ペンバ・ドルマさんの記念碑も建てられていた。
彼女はエベレストをはじめとする多くの高峰に登頂し、女性としての限界に挑み続けた人。
ヒマラヤの麓で、今も多くの登山者を静かに見守っているようだった。

ナムチェに着いてすぐ、宿に行く前に薬局へ立ち寄った。
店員さんはスマホで日本語訳を表示してくれて、とても親切。

購入したのは、高山病の薬(ダイアモックス)、風邪薬、胃腸薬、下痢止め、そしてのど飴。
合計5,150ルピー(=5,607円)と少し高めだったけど、父と2人分で多めに買っておいた。
この先、ディンボチェとペリチェを除いては、診療所がほとんど無いので、今のうちに備えておくのが安心。
高山病の予防として、ダイアモックスはこの日から朝晩に半錠ずつ服用を始めた。

ナムチェで泊まったのは「Sakura Guest House」。
設備がしっかりしていて、トレッカーたちでにぎわっていた。

昼食はナッパ(青菜)の副菜が美味しいダルバート。

部屋には電源があり、持参したドライヤーも使えた。

さらに、プライベートトイレ付きという快適さ。
シャワーは水しか出なかったので、共同の有料シャワーを利用したけれど──私の時はまあまあのお湯が出たのに、父の時には水温20度しか出なかったそうで、震えながら戻ってきた父の姿が気の毒だった。

夕食には揚げモモと焼き飯をいただき、温かい飲み物もポットで出してもらった。
ナムチェから先はいよいよ高山病のリスクが高まるエリア。
水分は1日3〜4リットル飲むようにし、頭が冷えないようニット帽も欠かさなかった。
寒い朝晩は水の代わりに、ジンジャーティーやハニーレモンティーなど温かい飲み物を1〜2L注文。
もちろん水より高くつくけれど、高山病になることを思えば安いものだ。
ただ、たくさん水分をとる分、夜は何度もトイレに起きる羽目に。
私は2〜3回ですんだが、父はまるで夜間頻尿かと思うほど、1時間に1度のペースでトイレに行っていた。
この「夜中のトイレ地獄」、どうやらしばらく続きそうである。
10月8日 ナムチェで高度順応。エベレストを望み、装備を整える1日(ナムチェ滞在)

ナムチェ滞在2日目の朝。
のんびりとオムレツとパンの朝食をとりながら、ふと思い悩んでいたのは、トレッキング中の永遠の悩み──洗濯物が乾かない問題。
手洗いした服を部屋に干しても、寒くて全然乾かない。
そんなとき、ガイドのゲルさんが宿のスタッフに掛け合ってくれ、スタッフ用の屋外物干しスペースに干させてもらえることに。
これで明日までには乾きそう。
ほっとひと安心。

今日は高度順応のため、終日ナムチェに滞在。
午前中は、村の東側にあるチョルクン(Chhorkung)の丘まで軽く登ることにした。
村から丘までは片道1時間ほどの道のり。
途中の道からは、馬蹄形に建物が並ぶナムチェの街並みを一望でき、その向こうには雲に包まれたコンデ山が静かにそびえていた。

チョルクンの丘は、エベレスト、ローツェ、アマダブラム、タムセルクなど、ヒマラヤの名峰を一望できる絶景スポット。
この日は天気も良く、どの山もくっきりとその姿を見せてくれた。
私も父も、人生で初めて見るエベレストに大興奮。
特に父は、「ベースキャンプまで行けなくても、ナムチェからエベレストが見られたらそれで満足」と言っていたほどで、その夢が叶ってとても嬉しそうだった。

丘には、サガルマータ国立公園の無料博物館もある。

中には、国立公園に生息する動植物や、シェルパ族の暮らしを紹介するパネルが展示されていた。
とくに胸を打たれたのは、シェルパの存在の大きさと、その現実。
シェルパとは、ネパール東部の高地に暮らす民族で、高所順応に強く、登山道具の運搬やルート確保など、登山を支えるプロフェッショナル。
それにもかかわらず、もし山で命を落としても遺族に支払われる補償金はわずか4,600ドル──その事実に、思わず言葉を失った。
今回のガイドとポーターも、サレリ近郊のシェルパ族の村の出身。
彼らはシーズン中だけカトマンズに拠点を置き、会社に所属しながらトレッキングの仕事をしているという。
ゲルさんはクライミングガイドの資格も持っており、エベレストやマナスルなど、命がけの登山にも同行することがあるそうだ。
どうか、彼らがこの仕事で命を落とすことのないよう、心から願わずにはいられなかった。

約2時間の高度順応トレーニングを終え、下山後はゲルさんとトレッキング用品店へ。

ここで、明日から使うための−20度対応のダウン寝袋をレンタル。
1個1日500ルピーで、2個×11日分=11,000ルピーを支払った。
標高が上がるにつれ冷え込みも厳しくなるので、しっかりした寝袋は必需品。

そのほかにも、ニット帽、ダウンズボン(自分用)、トイレットペーパーなどを揃え、準備は万端。

買い物のあとは、「ナムチェ ベーカリー カフェ」へ。
標高3440mの村で、本格的なスイーツとコーヒーが楽しめる、知る人ぞ知る名店だ。

アップルパイ、ブルーベリータルト、コーヒー、カフェラテを注文。
車も来ない山奥の村で、こんな贅沢ができるとは思っていなかった。
久しぶりに甘いものを食べて、心も体も満たされた。

夜は、ヒマラヤ名物のヤクステーキとシェルパシチューでしっかりエネルギー補給。
ヤクのステーキは赤身肉で、噛むほどに旨みが広がる山のごちそう。
脂っこくなく、トレッキング中でもぺろりと食べられる。
シェルパシチューには、トゥクパ(ネパール風うどん)や野菜がたっぷり入っていて、栄養満点。
冷えた体を芯から温めてくれる、やさしい味だった。
10月9日 青空のもと、名峰を眺めながらデボチェへ(ナムチェ→ デボチェ)

今日はナムチェを離れ、さらに標高を上げてデボチェ(Deboche・標高3820m)を目指す。
朝ごはんは、ボリュームのあるピザ。
しっかりお腹を満たして、朝8時に出発した。

ナムチェからデボチェまでは、アマダブラム、タムセルク、そしてエベレストといった名峰を間近に眺めながら歩ける、まさに絶景ルート。
この日は晴天で、青空と白く輝く山々がどこまでも続き、歩くのが楽しくなるほどのトレッキング日和だった。

途中の村の売店で目を引いたのが、フェルトで作られたキノコの形の帽子。
日本では恥ずかしくて絶対かぶれないけど、あまりのかわいさに思わず欲しくなってしまった。

その近くで売っていたポテトチップスの袋は、標高が上がって気圧が下がったせいかパンパンに膨らんでいた。
いよいよ空気が薄くなってきた証拠。
体も少しずつそれを感じ取り始めている。

お昼はホンギタンガ(Phungi Thenga)のロッジで、サンドイッチとじゃがいものグリル。
お腹を満たしたあと、いよいよ標高差500m以上の登り階段が始まる。

登り坂の途中、何本ものペットボトルを背負ったおじいさんが、ゆっくりゆっくり登っていた。
背負ったカゴの下には杖のような木をつけていて、休憩しながら少しずつ進んでいく。
こうして人の手で物資が運ばれているのを目の当たりにすると、標高が高くなるにつれて食事や水の値段が上がる理由にも納得がいく。
このエリアにはシェルパ族とライ族という2つの山岳民族が暮らしていて、ライ族はポーターや宿経営、シェルパ族は主にガイドや登山サポートを担っているそう。
シェルパ族は、チベット仏教を信仰し、シェルパ語とネパール語を話す人も多いという。
道中、ガイドのゲルさんがこうした文化や民族の話をたくさんしてくれて、ただ歩くだけでは知れない背景を学べたことも大きな収穫だった。
本やネットの情報では味わえない、リアルな「暮らし」の一端に触れる時間はとても興味深かった。

登り階段を登りきると、目の前に現れたのがタンボチェ・ゴンバ。
エベレスト街道のなかでも特に有名なチベット仏教の寺院で、立派な外観が山中に映える。
今回は中には入らず、そのままデボチェ方面へ歩みを進める。

午後3時15分、ようやくデボチェの宿に到着。

客室はベッドが2つ並ぶだけの簡素なつくりで、電源も荷物置き場もなし。
トイレはもちろん共用だ。
ちなみに、デボチェより標高が高い村では、スマホやバッテリーの充電は基本的に宿の食堂で有料になる。
しかも、標高が上がるほどその料金も上がっていくので、ナムチェでしっかりフル充電しておいて本当に正解だった。

夕食は、モモとマカロニ、そして高山病に効くといわれるガーリックスープ。
しっかり飲んで、体の内側から温まる。

この日から、ナムチェでレンタルしたダウン寝袋を使う生活がスタート。
寝袋の中にはトラベルシーツを入れて、さらに布団も重ねて寝るスタイルなのだけど──慣れない父は苦戦しまくり。
寝袋に入るだけでひと騒動、ようやくチャックを閉めたと思ったら「トイレに行きたい」とまた脱出する羽目に。
そのたびに文句を言われ、深夜にはチャックが布を噛んで動かなくなり、私は叩き起こされる始末。
正直、このトレッキングは高齢の父には少し過酷すぎるのかもしれない。
ベースキャンプまで本当に行けるのか、なんとも不安な夜だった。
10月7日〜9日:使ったお金
10月7日
・夕朝食宿代(宿代1,500ルピー含む):4,445ルピー(=4,839円)
・水:100ルピー(=108円)
・薬代:5,150ルピー(=5,607円)
合計:10,554円
10月8日
・寝袋レンタル(1日500ルピー×11日×2個):11,000ルピー(=11,976円)
・ダウンズボン(自分用):3,000ルピー(=3,266円)
・ニット帽(2個):1,000ルピー(=1,088円)
・トイレットペーパー(4個):600ルピー(=653円)
・水(4本):400ルピー(=435円)
・昼食代(アップルパイ等):1,850ルピー(=2,014円)
合計:19,432円
10月9日
・2泊分朝昼夕食宿代(宿代2,000ルピー含む):12,100ルピー(=13,174円)
・水:100ルピー(=108円)
・水:200ルピー(=217円)
・水:200ルピー(=217円)
・昼食代(サンドイッチ等):1,600ルピー(=1,742円)
合計:15,458円

