ゴラクシェプを出発してからの下山7日間。
標高が下がって歩きやすくなるかと思いきや、現実はそんなに甘くなかった。
父は風邪をこじらせて咳と鼻水が止まらず、私はそれをもらって体調を崩し、途中からは交互に看病しあうような状態に。
さらに父は馬での下り中に落馬して肩と手首を痛めるというアクシデントもあり、心も身体もなかなか休まらない道のりだった。
それでも、ネパールの人たちの優しさに助けられながら、伝統薬「SANCHO」や祭りの子どもたちとのふれあい、美味しい食事やホッとできる宿に励まされ、ようやくカトマンズに帰ってきた。
これは、親子で歩いた「帰り道」の記録。
決して順調じゃなかったけれど、それでも忘れられない7日間になった。
10月16日 氷河に別れを告げ、父と再び下山の道へ(ゴラクシェプ→ ペリチェ)

この日の朝食は、パンとオムレツ。
いつもより少し早めの7時に宿を出発した。
今日は標高4252mのペリチェまで、一気に下っていく。
ペリチェはディンボチェのすぐ隣にある村。
今回も父は馬に乗って下山するが、今日はトクラ(4620m)までの区間をお願いした。
私は徒歩で下り、トクラで合流して一緒に昼食をとり、そのままペリチェまで歩くという計画だ。
歩きのほうが時間がかかるため、先にポーターのヌルさんと出発したが、馬に乗った父にあっという間に追い越された。
行きと違って急ぐ必要はないので、自分のペースでゆっくりと歩いていく。

今日で、クーンブ氷河の景色ともお別れ。
そう思うと、名残惜しさがこみあげてくる。
早朝の空気は凛と冷え込み、ダウンの手袋とダウンジャケットを着ていても、じんわりと寒さが身に染みた。
足の指先はかじかんで、感覚が鈍くなっていく。
カトマンズで買ったごつめのダウン手袋。
当初は「本当にここまで必要かな?」と半信半疑だったけれど、ゴラクシェプの早朝の寒さを体験して、「買ってよかった…!」と心から思った。

11時過ぎ、ようやくトクラに到着。
父は1時間以上前に着いていたようで、陽当たりのよいベンチに座って、ぼんやりと待っていた。
無事にトクラまで来てくれて、まずは一安心。
昼食にネパールの定番・WaiWaiヌードルを食べて体をあたため、再び出発した。

歩いていると、ヤクの隊列とすれ違った。
ペリチェへ向かうこの道は、もう雪の心配はない。
父も安心して歩ける道だ。
午前中にたっぷり歩いた私は、すでに少し疲れ気味。
でも父は馬で移動していたぶん、元気いっぱい。
ぐいぐい歩く父についていくのがやっとだった。

道はほぼ平坦で、ペリチェまであと30分ほど。
大丈夫そうだったので、父に散策用リュックを背負ってもらうことにした。
これまで父に荷物を持たせたことはなかったけれど、リュックを背負ったことで、少しだけ私の苦労を感じてくれたのか、歩くペースがほんの少しだけゆるやかになった。

13時半、ペリチェの宿に到着。
食堂には大きなテレビがあり、天井にはたくさんのライト。
一気に“現代”の雰囲気を感じさせる空間だった。

疲れもあって甘いものが欲しくなり、アップルパイとホットチョコレートを注文。
サクサクのパイと優しい甘さのチョコレートが、冷えた体にじんわり沁みた。

部屋にはコンセントはなかったけれど、床には絨毯が敷かれ、枕元には小さな物置台もあり、今まで泊まった中でも快適な部屋だった。
設備の充実度は、ナムチェの「Sakura Guest House」に次ぐレベル。
さらに、有料のホットシャワーもあり、ディンボチェ以来5日ぶりにシャワーを浴びた。
熱いお湯に全身が包まれ、まるで生き返ったような気分。
父は風邪気味のため、シャワーは控えていた。
少し咳や鼻水も出ていて、心配になる。

夕食はツナパスタとポテトスープ。
缶詰とはいえ、車も通らない山奥でツナが食べられるとは思わず、ちょっと感動。
ネパールで食べるツナ缶、なんだかありがたみが増す。
10月17日 風邪の父を救ったネパールの秘薬「SANCHO」(ペリチェ→ デボチェ)

この日の朝食は、フレンチトーストとオニオンスープ。
そして、久々にコーヒーも解禁した。
標高も下がってきたので、高山病の薬もこの日からストップ。
父は、大好きなコーヒーを飲めて嬉しそうだった。
今日は、標高3820mのデボチェ(Deboche)まで下る。

大きな吊り橋を渡り、なだらかな道を進む。
標高が下がるにつれて、空気があたたかくなっていくのがはっきりとわかる。

途中の村・パンボチェで、ようやくスマホがインターネットの電波を拾った。
ディンボチェ以来、日本の家族とは連絡が取れていなかったので、カフェに入ってひと休み。
ホットチョコレートを飲みながら、生存報告のメッセージを送った。
電波は不安定で、途切れ途切れだったけれど、たまっていたメールの確認もできて、少しホッとした。

村の中で、見慣れない装置を発見。
これは太陽熱でやかんの水を温めるためのものだそう。
この地域では、薪や家畜のフンなど、火を起こすための燃料はとても貴重。
そんな中、自然の力を活かしてお湯を作る工夫に、思わず「すごい」と声が出た。

正午ごろ、デボチェに到着。
昼食にダルバートを頼んだところ、なんとごはんを炊くところからスタート。
1時間以上かかったけれど、炊きたてのごはんと作りたてのおかずは絶品で、ついおかわりしてしまった。
到着時、父の風邪はかなり悪化していて、とてもつらそうだった。
本来はナムチェに2泊して、洗濯や荷造りなどをゆっくり済ませてからカトマンズへ戻る予定だったが、父の体調を考え、1泊だけして早めに戻ることに決めた。
このため、洗濯はすべてデボチェで済ませることに。
冷たい水での作業を父に任せるわけにはいかず、私が2人分まとめて洗い、最後の仕上げの絞りだけを父にお願いした。
宿の方が、洗濯用のバケツや干し場を貸してくださり、本当に助かった。

夕食は、あたたかいベジヌードルとモモ。
父は昼間少し休んでいたものの、症状は悪化する一方。
そんな中、心配してくれたガイドのゲルさんが、ネパール式の鼻水ケアを施してくれることになった。

「SANCHO」という、小瓶に入った薬を使う。
ネパールでは伝統的なアーユルヴェーダに基づいた常備薬として知られ、風邪のひき始めや鼻づまりに効くとされている。
カトマンズでは1本50ルピーほどだが、このあたりの山奥では200ルピー近くすることもあるという。
今回は宿のオーナーのご厚意で貸していただけた。

使い方はシンプル。
洗面器に熱いお湯を張り、サンチョを数滴垂らす。
顔にタオルをかぶせて、ゆっくりと蒸気を鼻から吸い込む。
ミントやユーカリ、カンファーのようなスーッとしたハーブの香りが鼻を抜けていく。
「おお、これは効くな……」と父がぽつり。
すると、鼻水がスーッと出て、呼吸もずいぶん楽になったようだった。
自然の力って、やっぱりすごい。
ネパールの知恵に、心から感動した夜だった。
10月18日 父が落馬…後悔の道のりとナムチェの安堵(デボチェ→ ナムチェ)
一晩寝て、父の鼻水は少しだけ落ち着いたように見えたけれど、それでも咳や鼻水は続いていた。
私はマスクを着けるよう父にお願いしていたけれど、せまい個室で一晩中咳をされると、風邪がうつるのも時間の問題に思えた。
「一刻も早くカトマンズに帰らなければ」——そんな焦りを胸に抱えての出発だった。

この日の朝食は、シェルパシチューとゆで卵。
シチューにはトゥクパ(ネパール風うどん)も入っていて、しっかり体が温まり、エネルギー補給もばっちり。
目的地は標高3440mのナムチェ(Namche)。
途中、ホンギタンガ(Phungi Thenga)までは標高差約570mの急な下り階段が続く。
父の膝への負担を考え、そこまでは馬に乗ってもらうことにした。

けれどやってきたのは、少し小型のポニー。
馬使いは鞍を何度も直していて、どうにも様子がおかしい。
心配ではあったけれど、ゲルさんに父を託し、私はヌルさんと一緒に歩き始めた。
最初のうちは登り坂が続き、馬の方がペースが早く、父の姿はすぐに見えなくなってしまう。
けれど階段の下りに差しかかると、今度は私たちの足のほうが早かったのか、すぐに追いついた。
見ると父は、急な階段を馬に乗ったまま、馬使いとゲルさんのふたりに両脇から支えられていて、まるで“御殿様”のような様子。
思わず苦笑しながらも、何度も鞍の調整に手こずっている馬使いの姿を見て、不安がぬぐえなかった。
「大丈夫だから先に行って」とゲルさんに言われ、私は父を残して階段を先に下りてしまう。
けれど、それが後になって深く後悔する出来事へとつながってしまう——。

ホンギタンガに到着し、父と再会した時、思いもよらぬ言葉が返ってきた。
「階段で落馬したんだよ」
その瞬間、血の気が引いた。
話を聞くと、鞍ごとずり落ちて、左肩と手首を痛めたらしい。
あのとき感じた不安はやはり的中していた。
鞍がきちんと固定されていなかったのか、ポニーが小さすぎたのか、階段が急すぎたのか。
どんな理由であれ、最終的に父を馬に乗せると判断したのは私だった。
父に痛い思いをさせてしまったことに、深い後悔と申し訳なさがこみあげてくる。

その後、キャンヅマ(Kyangjuma・3550m)で昼食をとることに。
ハッシュブラウンとトマトスープでひと休み。

ナムチェへ向かう道中、カラフルな鳥が草むらからひょっこり姿を現した。
ネパールの国鳥「ダフェ(Daphe)」だ。
鮮やかな羽色と優雅な歩き方が印象的で、父とふたり、しばらく見とれていた。

14時半頃、ナムチェの村が視界に入った瞬間、「やっと戻ってきた…!」という安堵の気持ちが湧いてきた。
文明社会の匂いがする場所まで帰ってきたことに、心からほっとした。

行きに泊まった「Sakura Guest House」は満室だったため、今回は別の宿へ。
幸い、部屋には充電設備があり、ディンボチェ以来の充電にありつけた。
到着後すぐに、デボチェで乾ききらなかった洗濯物を屋外に干し、ヌルさんには寝袋の返却をお願い。
その間、私はゲルさんと薬局へ向かい、父の風邪薬を探した。

今の薬は効いていない気がして、咳止めに効くシロップと、ついでにのど飴も多めに購入。
少し値は張ったけれど、父の体が第一だ。

宿に戻って、あらためて父の怪我の様子を確認した。
肩と手首には赤みがあり、痛みもあるようだったけれど、「たいしたことないよ」と父は軽く笑っていた。
それよりも驚いたのが、手の甲の色。
真っ黒に日焼けしていて、思わず「こんなに焼けてたの!?」と声が出た。
山では鏡を見る機会も少なく、これまで気づかなかったけれど、私も父も鼻の頭までしっかり焼けていた。
標高が高い場所では紫外線がとても強く、バフやマスクで顔を覆っている人が多かった。
とくにこのあたりでは、ヤクなど家畜のフンが乾燥して空気に舞っているため、それを吸い込んで咳が出るのを防ぐ意味もある。
でも私は、マスクをすると息がしづらくて、長時間つけていられなかった。
その結果がこの日焼けだったと思うと、ちょっと反省…。
夕食までのあいだは、有料のホットシャワーを浴びてゆっくり過ごした。
プリチェ以来のシャワーで、冷えた体が芯から温まり、生き返るようだった。
一方、風邪が治りきらない父は今回もシャワーを見送り。
体を温めたほうが楽になるかも…とは思ったけれど、無理はさせられず、少し気の毒だった。

夕食はヤクステーキとボロネーゼ。

ヤクは少し固かったけれど、ボロネーゼはボリュームたっぷりで満足感あり。
食事のあと、父の手首を冷やしながら、ゲルさんと病院に行くか相談した。
けれどナムチェには満足な医療施設がなく、とりあえず応急処置だけして、様子を見ることに。
私はインターネットでカトマンズの整形外科を調べたり、山岸さんにもおすすめの病院を聞いたりして、念のために備えておいた。
父は「全然痛くないよ」と呑気に笑って早くも就寝。
けれど私は心配で、もし骨にヒビでも入っていたら…と不安を抱えたまま、寝つきの悪い夜を過ごした。
10月19日 今度は私がダウン、風邪のバトンを受け取る日(ナムチェ→ パクディン)

朝食は、父のリクエストでパンケーキと目玉焼き。
この日は、標高2610mのパクディン(Phakding)まで下る日。
ジョルサレまでの道には、700m近い下り階段が待ち構えている。
本来ならまた馬を使いたいところだけど、昨日の落馬の件があり、もはや馬は信用ならない。
父と一歩ずつ慎重に、歩いて下ることにした。

ジョルサレの手前、モンジョでお茶休憩。
父の膝は思ったよりも痛んでいない様子で、ひとまず安心した。
父は典型的な日本人気質で、痛くても「大丈夫」と言ってしまうタイプ。
だからこそ、こちらがしっかり観察しておかないといけない。
ところが、今度は私の体調が悪化してきた。
鼻水が止まらず、足取りも重く、歩くのがつらいほど。
父の風邪がうつったのか、疲れがたまったのか、原因はわからないけれど、完全に風邪の初期症状。
予定を変更して、途中のベンカーで昼食をとることにした。

ベンカーのレストランは、窓際にかぼちゃが飾られていて、とても可愛らしい雰囲気。

昼食はマカロニとじゃがいものグリル、そしてストロベリーラッシー。

まさか山の中でラッシーが飲めるとは思わなかった。
味も美味しかったけれど、体調は最悪。
一方、父はどんどん元気になっていく様子で、なんだか風邪をバトンタッチされたようだった。
本来なら1時間ほどで着くはずの道を、私はフラフラで3時間もかけて歩いた。
ゲルさんもヌルさんも付き添ってくれ、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
優しい父は、私の腕を取りながらずっと歩いてくれた。
リュックはゲルさんが持ってくれて、本当にありがたかった。
16時頃、ようやくパクディンの宿に到着。
到着してすぐ布団に潜り込んで、しばらく寝込んだ。
夜、ゲルさんが洗面器とあの「SANCHO」を持ってきてくれた。
布団の上でネパール式の蒸気吸入をやってみると、鼻がスッと通ってかなり楽になった。
まさか自分もこれを使う日が来るとは思わなかったけれど、実際にやってみると強烈。
蒸気で顔が熱くなり、吸い込むたびに咳が止まらなくなるほどだった。

夕食はピザとポテトスープ。

体調が悪くても食欲があったのは救いだった。

デザートにはアップルパイも注文。
「明日スルキャまで行けば、あとはジープで帰れる」
そう自分に言い聞かせて、長い一日を終えた。
10月20日 ティハールの祝福に励まされ、スローペースの歩み(パクディン→ スルキャ)

朝食は、野菜たっぷりのインスタントヌードル。
昨日、秘薬をいただいたりと色々お世話になった宿の方にお礼を言って、朝8時、スルキャ(Surkya・標高2290m)を目指して出発。
秘薬のおかげか、起きたときには鼻水がだいぶ楽になっていた。
でも体のだるさは抜けず、本調子にはほど遠い。
今日は父に散策用のリュックを持ってもらい、支払いなどの実務もすべて任せることに。
父の風邪や怪我もまだ気になるけれど、私の方が重症なので、申し訳ないけど甘えさせてもらった。
支払いに慣れていない父を、ゲルさんがやさしくサポートしてくれて、本当にありがたかった。

途中の吊り橋では、ティハール祭のための寄付を求める子どもたちが関所のように立ちはだかっていた。
100ルピーを寄付すると、額に祝福のティカをつけてくれた。
ティカとは、額につける赤い色粉の印で、祝福や祈りの意味を込めたネパールの伝統的な風習。
「良い一日を!」と笑顔で送り出してくれた少女たちに、少し元気をもらえた。

峠の茶屋では、ポテチ、リンゴ、ジュースを買って栄養補給。
とにかく体が欲しているものを食べて、力を出して早く歩く作戦。

昼食はルクラ手前の村で。
私はフレンチトースト、父はサンドイッチ。

隣の売店でキットカットも買って、ひたすら糖分チャージ。
16時、ようやくスルキャの宿に到着。
本来は13時ごろの予定だったので、3時間の遅れ。
こんなにスローペースな私に最後まで付き合ってくれたゲルさんとヌルさんには、心から感謝した。

夕食は、カリカリのおせんべいが美味しいダルバート。
明日からはジープで帰るだけ。
ここまで歩いてきた自分を、ちょっとだけ褒めてあげたくなった。
10月21日 断崖ジープ再び!神ドライバーと帰還の道へ(スルキャ→ サレリ)

この日は朝7時に出発し、貸切ジープでサレリへ。
なんと行きと同じドライバーさんが迎えに来てくれていて、びっくり&感動!
あの断崖絶壁の悪路をもう一度走るのは気が重かったけど、運転技術抜群の「神ドライバー」との再会に、なんだか安心できた。
しかも今回は雨も降っておらず、道もぬかるんでいない。
行きよりは安全なはず…!と自分に言い聞かせてジープに乗り込んだ。

お昼は峠の茶屋で久しぶりのチョウメン。

スパイスが効いていてとても美味しかった。
15時半、サレリの宿に到着。
この頃には体調も少しずつ回復してきていて、夕食まで布団でゆっくり休んだ。

夕食は、ネパールの定番家庭料理「チキンタルカリ」。
スパイスで煮込んだ骨つき鶏肉に、ダールスープ、ごはん、アチャールなどが盛られたボリューム満点のセットメニュー。
優しい味が、疲れた体に染みわたった。
明日はいよいよカトマンズに戻る日。
怪我や風邪で満身創痍だった親子トレッキングも、いよいよゴール。
うれしさとちょっとの寂しさが入り混じる夜だった。
10月22日 無事帰還とサムギョプサルで迎える旅のフィナーレ(サレリ→ カトマンズ)
朝6時、ジープでカトマンズを目指して出発。
行きと同じドライバーさんとの再会は心強く、手配してくれたゲルさんの気遣いにも感謝。
ネパールのドライバーにはスリル満点の人も多いけれど、今回の2人のドライバーはどちらも安全運転で、本当に安心できた。

出発から2時間ほど走ったところで朝食。
チャパティとピリ辛じゃがいも、そしてコーヒー。
ローカル感あふれる味が、じんわりおいしい。

昼食もローカル食堂で、定番のダルバート。
久々に炭酸ジュースも飲んで、少しリフレッシュできた。
ボコボコの山道を長時間走り続けていたせいで、体のあちこちが痛い。
父も「もう全身が痛くて、どこが怪我なのかわからない」と笑っていたけど、咳のしすぎでぎっくり腰寸前だったらしく、やっぱり心配は尽きない。
16時15分、無事カトマンズに到着。
ゲルさんとヌルさんにお礼のチップを渡し、「またいつか一緒にトレッキングしましょう」と笑顔で別れを告げた。
ベースキャンプも、カラパタールも、すべて2人のサポートがあってこそ。
感謝してもしきれない。

宿に到着すると、玄関先にはカラフルな色粉とマリーゴールドの花で彩られた美しい模様が。
ティハール祭の時期で、女神ラクシュミーを迎えるための装飾だそう。

宿「Satkar Boutique Home」は、エアコン、冷蔵庫、机付き。
静かな路地にあり、騒音もなく、何より清潔で広々。

2泊朝食付きで43.64ドル(=6,589円)とちょっと贅沢だけど、トレッキングを終えた自分へのごほうびとしてぴったり。

到着してすぐ、宿の前にあるランドリーへ。
ダウンや寝袋シーツ、服など、2人分で7kg。
1kgあたり100ルピーで、合計700ルピーを支払った。

夕食は、父がずっと食べたがっていた焼肉を求めて、韓国料理店「Korean Kitchen Picnic」へ。
サムギョプサルと、なんと19日ぶりのビール!
父はお酒が大好きだけど、高山病対策でずっと禁酒していた。
久々のビールは、2本でほろ酔いになってしまったらしい。
「もし途中でリタイアしてたら、悔しさまぎれに飲んでたかもなぁ」と笑う父の顔を見ながら、一緒にサムギョプサルを頬張る。
こうして、たくさんの人の助けに支えられて、親子のエベレストトレッキングは無事フィナーレを迎えた。
10月16日〜22日:使ったお金
10月16日
・2泊分朝昼夕食宿代(宿代2,000ルピー含む):28,350ルピー(=30,613円)
・馬代(ゴラクシェプ→トクラ):20,000ルピー(=21,596円)
・馬使いチップ代:1,000ルピー(=1,079円)
・昼食代(WaiWaiヌードル等):2,400ルピー(=2,591円)
合計:55,879円
10月17日
・朝夕食宿代(宿代無料):6,200ルピー(=6,694円)
・のど飴(2シート):600ルピー(=647円)
・お茶代(ホットチョコレート):500ルピー(=539円)
・水(2本):400ルピー(=431円)
合計:8,311円
10月18日
・朝昼夕食宿代(宿代1,500ルピー含む):8,000ルピー(=8,638円)
・馬代(デボチェ→ホンギタンガ):15,000ルピー(=16,197円)
・馬使いチップ代:1,000ルピー(=1,079円)
・昼食代(ハッシュブラウン等):2,000ルピー(=2,159円)
・水:200ルピー(=215円)
・風邪薬シロップ:700ルピー(=755円)
・のど飴(2シート):600ルピー(=647円)
・トイレットペーパー:300ルピー(=323円)
・水(2本):200ルピー(=215円)
合計:30,228円
10月19日
・朝夕食宿代(宿代1,000ルピー含む):5,150ルピー(=5,561円)
・お茶代(ハニーレモン):200ルピー(=215円)
・昼食代(マカロニ等):2,100ルピー(=2,267円)
合計:8,043円
10月20日
・朝夕食宿代(宿代1,000ルピー含む):4,770ルピー(=5,150円)
・お祭りの寄付:100ルピー(=107円)
・リンゴ・ポテチ・ジュース:650ルピー(=701円)
・キットカット:150ルピー(=161円)
・昼食代(サンドイッチ等):1,500ルピー(=1,619円)
・水:150ルピー(=161円)
・ガイド&ポーター代残金:91,500ルピー(=97,608円)
合計:105,507円
10月21日
・朝夕食宿代(宿代1,500ルピー含む):3,850ルピー(=4,157円)
・ジープ代(スルキャ→カトマンズ):45,000ルピー(=48,592円)
・水:100ルピー(=107円)
・トイレットペーパー:150ルピー(=161円)
・昼食代(チョウメン):400ルピー(=431円)
・ジープチップ代:1,000ルピー(=1,079円)
合計:54,527円
10月22日
・夕食代宿代(宿代1,500ルピー含む):3,200ルピー(=3,455円)
・朝食代(チャパティ&じゃがいも等):540ルピー(=583円)
・昼食代(ダルバート等):740ルピー(=799円)
・ジープチップ代:500ルピー(=539円)
・ガイドチップ代:50,000ルピー(=53,991円)
・ポーターチップ代:45,000ルピー(=48,592円)
・ランドリー代(7Kg):700ルピー(=755円)
・夕食代(サムギョプサル等):4,050ルピー(=4,376円)
・ビール(2本):600ルピー(=647円)
・宿泊代(2泊分):43.64ドル(=6,589円)
・ダウン売り払い:+2,000ルピー(=2,159円)
合計:120,326−2,000=118,326円


